生活の詩のようであり、社会への書簡のようなもの。

生あたたかい血の通ったcontributionを、貴方と、アフリカと、そしてわたし自身に優しく美しく届けれるようになりたい。

人が猫を愛する理由

猫大好きなんだけど、この前実家帰ったときに、ふと考えたこと。(どうでもいい話です)

うちの猫、白血病で、しかも外に出すとすぐ喧嘩するから、よその猫にもらってくる傷が抉れたまま、ずっと治らないでいてかなり見た目も痛々しくて、とてもつらい。

白血病であと数ヶ月も生きれないよってお医者さんに言われてから、ご飯も全く食べなくなっていって、どんどん痩せていって、ふとうちの猫がほっそい体でご飯を食べようとしてるのを見た時に「あぁ、動物ってこうやって死ぬんだなぁ」って勝手に思ってしまってたことをよく覚えてる。

もうどうしようもなくて、家族も多分そういう風に感じてて。「最後だから、いいもの食わしてやろうか」ってなったおばあちゃんが、それまで乾燥したパサパサのキャットフードだったところを、豪華な缶詰に変えてあげたんだけど。

そしたらいきなりすごい勢いで食べだして。

そこからは食欲も戻ってみるみるうちに前くらいの大きさに戻っていった。そして戻ったのはいいんだけど、前より少し太り始めた。。いやいいんだけど。。いやむしろ本当によかったよありがとう。。

それで、おかげで今もうちの猫は元気にしています。(高い缶詰を毎日食べて元気に家計を圧迫しています)

それまで、もともとは弟(母さんだっけ?)が欲しがった猫だったから、何となくあんまり愛着とかなかったんだけど、その事件を経てなぜだか彼に、僕もめちゃくちゃ愛情を感じるようになって。

そんなときに実家に久しぶりに帰って猫と一緒に寝ようとしたときにふと、なんで人って猫をこんなに愛するんかなーって考えたときがありました。

それって、彼がやってること全てが純粋に”彼がやりたいこと"だからだなぁって。猫の精神が完全な自由だからなんだなって思いました。

僕が布団をめくって「おいで」って声をかけたとき、猫が来てくれるのって、100%の「一緒に寝たい」って純粋な気持ちだと思います。

来たくなければ、ただ、来ないだけですもん。そこには何の思惑も、社会的欲求とかも、「一緒に寝たい」以外の何もなくて。

あるのは、ただただひたすら純粋な"彼がやりたいこと"なんだなぁって。

それで、だから僕は猫が大好きなんやなぁ、って。