生活の詩のようであり、社会への書簡のようなもの。

生あたたかい血の通ったcontributionを、貴方と、アフリカと、そしてわたし自身に優しく美しく届けれるようになりたい。

父親に会いに行く、とても個人的な記録。

2016年の5月上旬に、父親に会おうと決意してからリアルタイムで書いていた文章と、1ヶ月後に所感を書いたとても個人的な記録。

あれから1年。そろそろ投稿してもいいかなとふと思った。


きっかけ

ウガンダ滞在中に、恩師と言えるような人がいた。マケレレ大学で教師をしている彼女には、もともとはただ英語を週に1度教わっていただけだったのだが、レッスンの内容がスピーキングに重点を置いていて会話中心だったこともあり、だんだんと、日本での生活のことや、家族のことも話すようになった。

その頃僕は、自分が父親に似ているのではないかと思うようになっていた。

両親は僕がまだ幼稚園に入る前に離婚している。知りもしない父親の嗜好を、やっていることを辿ってしまうんじゃないかという小さな恐怖を、ふとしたときに考えるようになった。

ルーツは、自らを支えるものだ。カルマと向き合うこと、またそこから抜け出すことは、誰にとっても難しいものだと思う。それは、DNAとして僕ら1人1人の奥深く、1番底のところに消えないように刻み込まれている。

恩師であるマケレレ大学の先生に「日本に帰ったら、あなたは必ず父親と会いなさい。きちんと家族の話をしなさい。それはあなたの人生にとってとても大切なこと。」と言われた。

僕は一刻も早く父親と会わなければという思いを抱え、それでも中々勇気が出ずにいて、日本に帰ってから、かれこれ2年も経ってしまった。

そして、意図せず父親のやったことを辿るかのように僕は情報系学科に転学科しコンピュータを勉強し、そして東京で会社を始めた。

でも、ある人との出会いをきっかけに、今すぐ会わなきゃいけないと思い出した。

ずっと蓋をしていて見ていないフリをしてきたことを、ふと思い出してしまった。

父親と向き合わないといけない気がした。父親がどんな人間で、どんな失敗を犯してきたのかを知らないといけない気がした。

ルーツを知らなければ、カルマを変えていくことも、それによって起こる結果を覆すこともできない。

家族について

(こんな個人的な記録を読んでくれている方がいるとしたら、コンテキストを伝えたいと思ったので、僕の家族のことについても書いておきます。)

両親は、僕が幼少の頃に離婚している。

もともとプログラマーをしていた父親と、テレビ局や翻訳の仕事をしていた母親だった。僕が生まれた頃に会社を立ち上げて、数年経ったころに会社はうまくいかなくなり、両親は働けなくなってしまった。

間も無くして僕と弟は、母親と共に母親の実家のある岡山に移ることになった。今考えてみると本当に大変なことだったと思うけど、母は、祖父母にサポートしてもらいながら僕たち2人の面倒を見てくれていた。

僕らは、父親がいないことに関して特に苦労を感じることもなく、呑気に、本当に幸せに時間を過ごすことができた。奨学金こそ借りているものの、良い高校にも、良い大学にも行かせてもらえた。バンドをしたり、ウガンダにいきなり1年滞在したりと、本当に自由にさせてくれた。

目的

この旅の目的は、自分のルーツを知ること。

そして、潜在意識の奥の方で紛れもなく自分に影響を与え続けている「父親」の存在を探ること。

僕は自分自身のルーツを知ることで、カルマを変えていけると信じる。

父親が犯した失敗を繰り返したくはない。子に、父親がいないという経験はさせない。

長期的に、少しずつでも大きくなって、心から信頼できる仲間と一緒に少しずつでも社会を変えていけるような会社と事業をつくる。豊かな人生を送る。

そういう、漠然とした人生を通して大切だと思うことを、僕自身がこれからつくっていくための始まりの旅。

恐ろしく怖いが、向き合わなくちゃ、20年後に過去を振り返って「もしかしたらあのとき」って嘆くことほど恐ろしいとこはない。それなら、やってみて嘆く方が、100倍マシだ。

そんな利己的でとても個人的な旅。

父親とはあくまで他人だと、そういう距離でいたい。

1日目

当日になって、なぜ行くのか、何が目的なのか、よく分からなくなってきて、考え込んで、中々家を出られなかった。

昼ごろにやっと最寄駅を出発できて、渋谷で寄り道をする。

渋谷のAbout Life Coffee Brewersでコーヒーに勇気づけてもらうためだった。Switch Coffeeのホンジュラス。美味しい。暑くなってたけど、まだアイスを飲む勇気は出なかった。

そして、父親の実家の最寄駅まで。

実際的な距離が近くなってくるほど、緊張してきた。何を話せばいい…?父親のことを、何て呼べばいい…?

最寄り駅までは、2~3時間ほど。

最寄駅に着いたところで、104に電話をかける。情報は、最寄駅と、親戚の名前しかなかった。というより、母親がそこまでしか教えたがらなかった。それでも行きたければ、これだけ教える、と言って住所と親戚の名前だけ教えてくれた。

104に電話して、住所を伝え電話番号を入手したまではいいものの、中々電話がかけられなかった。

手が震えて、30分、1時間と、メモにあった住所の最寄り駅のホームで、時間はあっという間に過ぎていってしまう。。

ようやく2時間ほどたって電話をかけることができた。電話に出てくれたのは、叔母さん。父親もいるから、代わると言ってくれて、父親と話せることになった。

多分話すのは、7,8年ぶりくらい。いや、きちんと父親と話すなんて物心がついてから初めてのことだ。

電話に出てくれた父親は、本当に驚いていた。まさか僕の方から電話してくれるなんて、と。その「なんて」には、僕の主観だけど、離婚してから養育費も払えずこれまで連絡を取らなかったことへの罪悪感も多少あったような、そんな印象を受けた。

明日、家まで行っていいかと尋ねたら、父親の方から東京に来るよ、と言ってくれた。親戚にも、父親本人にも拒絶されると思っていたので本当に嬉しかった。

電話を切った後、しばらく涙が止まらなかった。理由は分からないけど、ずっと泣いていた。

...

今まで僕は、現実の厳しい面を、自分にとって向き合うべきところで、逃げていたようなクセがあったと思う。はぐらかしたり、誤魔化したり、全然関係のない話をしてしまったり。そういうことに巧妙なフタをする。フタをしたことを忘れたフリをしていると、本当に忘れたような気になれる。

人生の中でそういうことって、きっといくつもあって。

そんな風にしてかぶせたフタを、誰かとの出会いや、誰かからの言葉でふっと、思い出す。

今は、このことに気付かせてくれたマケレレ大学の恩師と、改めてきっかけをくれた友人に100万回くらいお礼が言いたい気持ちだ。

といってもまだ始まっただけで、本当に気合いを入れなきゃいけないのは、明日。明日会って何を話せるか分からないけど、ききたいことは本当にたくさんある。

明日は今までの短い自分の人生史上で間違いなく1,2を争う重要な日になる。

...

振り返ってみれば、ただ電車に揺られ、ホームでダラダラして、電話を1本かけてまた東京まで電車で戻ってくるという、文章にするとほんとに何もしていないような1日になった。

物質的な観点からすれば、僕はこの日、7時間ほどかけて、渋谷から恵比寿まで133円で移動しただけだった。

実際的な行動量と真反対くらいに、今日という日の精神的な自分の感情の消費は大きかった。

2日目

父親からSMSで連絡が来た。13:00に、渋谷で昼ご飯を食べることになった。

今回、どうしてもききたいことがあった。

それは、僕のルーツと深く関わる部分。

「なぜ、コンピュータを始めたのか?」

「なぜ、会社を始めたのか?」

「なぜ、両親は別々に暮らさなければいけなくなったのか?」

渋谷駅に着いたはいいが、ハチ公の前に行く以前でビビってとても勇気がいった。勇気を振り絞って、ハチ公の前に近づく。

僕はそんなに時間をかけずに、父親らしき人を発見した。

多分、そう。

自分の記憶に、父親の顔なんてないと思ってたのだけど、見た瞬間に、なぜか分かった。

一瞬目が合って、話しかけようとしたが、父親は自分だとは気付いてくれなかった。

こちらから話しかける勇気は中々でなかった。何度かSMSでやり取りした後に、こちらから話しかけた。

「変わったな」と一言目。

おれも「変わったね」と返した。

そりゃそうだ。そんだけ会ってなければおれの顔も中々分からないだろう。身長も、顔も、雰囲気も、服装も変わった。

なんとなく、自分をひと目で認識できなかったことに、なぜか、安心した。昔の面影ですぐに認識されるよりも、よっぽど良かったという気持ちが湧いた。

多分、奥底で寂しかった気持ちをうやむやにするために。

...

僕がよくランチで行くお店に行った。正直、お店選びを間違えてしまった。もっと静かにゆっくり話ができる場所に行けばよかった。まぁ、そんなのは細かいことだ。

お互いにチキンライスを注文して、話を始めた。

...

今思い出してみて、会っていた時間はとても一瞬だったように感じる。それは逆に、今までの僕の心の奥深くにあるわだかまりのようなものを溜め込んでいた長さがあったからなのかもしれない。

父親は、会社をたたみ、子供の面倒もロクに見ることができないまま、父親の役割も果たせず田舎に帰ってきて、そこでよほど以前とは遠うような仕事もしていて、負の心理に陥っていたようだった。

ただ、自分が会ったタイミングがよかったのか、ここ数ヶ月で、前から始めていたPC教室も軌道に乗り始め、趣味で自転車とカメラを始めて、つい僕が会おうとしていた前々日に東北への旅行から帰ってきたところだと話してくれた。

なぜ父親がビジネスを始めたのか、父親は何がしたかったのか、なぜ離婚しなけらばならなかったのか、なぜその後おれたちに会うことをしなかったのか。自分がききたかったことを、全てきいた。

まだ、整理しきれていない。

よし、と思って整理できるようなことでもなく、整理しようとしてするべきものでもないかなと思う。

夢を見ていたような感覚に似ている。

1ヶ月後

父親と会ってから1ヶ月ほどが経って、生活には色々な変化が起こって、自分自身の考え方や行動にも大きな変化が起こってきているような気がする。

人との付き合い方も、明確に変わってきているような気がする。

それが父親と会ったからと明確に言えるわけではないし、これから、時間をかけてもっと色々なことが理解できてくるのかもしれない。

ただ、ひとつだけ。

自分は父親には似ていない。

想像していたより、僕は全く父親に似ていなかった。

コンピュータも、コーヒーも、ビジネスも、父親という自分のルーツから始まっていると思っていた何もかもが、実際はそんなことなかったと感じた。

悲しいような気持ちもある。

でも、あのときウガンダで感じて以来、心の奥の底の方から度々のタイミングで現れるあの小さな恐怖は、完全に払拭されてしまった。

それだけで、この2日間で本当にやりたかったことはできたような気がする。

父親に会えてよかった。

元気でいてください、また会う日まで。

最後に

「家族との和解」は、誰にとっても人生の永遠のテーマだと思う。

僕自身も母親と元々は仲良くなかったけど、ウガンダ滞在をきっかけに一気に話すようになり、そこから母親のことをたくさん知った。

もしかしたらこれまで幼少期に教えてもらったこと以上に、母親との和解と対話から本当にいろいろなことを学んだかもしれない。

自分自身のルーツを知ることが、自らのカルマを変える一番最初のステップだと信じて。

もし家族と和解できていないという話をしているその相手が、僕が大好きな友人なら、迷わず僕は「家族ととことん対話してほしい」と伝える。