生活の詩のようであり、社会への書簡のようなもの。

生あたたかい血の通ったcontributionを、貴方と、アフリカと、そしてわたし自身に優しく美しく届けれるようになりたい。

デザイン

「機能的」であることが、デザインだと考えていた。

理論と目的の指向性が、デザインのことだと思っていた。

でも、余白を埋めていくように行われるそれは、なんだかとても、窮屈に感じた。

デザインって、こんなことなのかって、落胆した。

気づいたら、「デザイン」ということば自体が、なんだか好きじゃなくなっていった。

でも、ふと、ぼくのなかでだけ、変えてみよう、って思い立った。

日常のなかでのささやかな発見を、やさしくて、あたたかくて、美しくて、素敵だと感じるたのしさや喜びに変換していく行為のことを「デザイン」と呼んでみたい、と思った。

「機能」はやさしさであって、そんな美しさのなかの、ひとつのこと。

余白を埋めていくのではなく、余白が生まれてしまうような。

そうした喜びを、何か社会と関わりのあるかたちとして、たちのぼらせること。

それは、コーヒーなのかもしれないし、椅子なのかもしれないし、器なのかもしれないし、服なのかもしれない。

そういうことを、やっていきたいのかもしれない、と思った。

生物学的性別と、社会学的性別と。ごく個人的な悩みについて。

ぼくは本来「なまえ」が生まれる目的は「そのなまえが消失する」ことなんじゃないか、と思っている。

たとえば「LGBT」ということばは、genderにおける偏りの一部のマイノリティを、メジャリティのひとたちが認知することに役立つ。これはとても大切なことだと思うし、これこそ「なまえ」「ことば」の持つ魔力だと思う。

だけど、究極的なグラデーションのせかいにおいては、その「なまえ」さえ必要ないはず。その属性の偏りが均質化すれば、「なまえ」は必要なくなる。"当たり前"になれば、その「なまえ」は「未知の既知化」という役割をおえるわけだ。

ほんとうはgenderも「LGBT」くらいのなまえでカテゴライズできるほど一様ではなくて、ひとりひとりが、ごくごく個人的なgenderの在り方を生まれながらに持っているとぼくは感じている。

たとえばぼくはgenderで言えば、ニュートラルで在りたいと思っている。または「両性」と表現するのが正しいか。

でも、生物学的な性別=sexとして自分は紛れもなく「男性」であって、それらがなんだかぼくのなかで乖離を起こすことがあって、ひととひととのシンプルな関係性において、なんだか邪魔だなぁって思ってしまうときがある。生きづらさを感じ続けている。

正直に告白すると、女性に優しくするのが、ときどきとても怖い。いや、しょっちゅうかもしれないくらい。

そしてすこし最近発見したことは、すでに結婚しているひととなら、そのひとの生物学的な性別が女性であったとしても、あまりそういうこわさを感じない。もっとシンプルに、ひと対ひとの関係性として、そのひとのことを大切に思うことができるような感覚を発見した。

打算もなく、目的もなく、純粋にひととして好きという気持ちがあり、大切にしたい、と感じれることであって、好きなひとに貢献できたのであれば、自分自身がとても嬉しいわけであって。

逆に「打算があるんじゃないか」って思われることに怖がる必要なんて、ないわけであって。

そんな、ひととひととの関係性において、生物学的な性別はぼくにとって全く重要ではないことであって、そんなのに囚われたくない、って、いつも、足掻いてる。

だけど、どうしてもふと、優しくすることがこわくなることがあるんだよね。

何かを贈ることがこわくなることがあるんだよね。

そんなさみしいこと、なくしていきたいなぁ。

2019年のこと。

○ いちばんだいじなこと

「つくったものが、語り出してしまうように。」

言葉では説明的になってしまうようなことを、

つたわってしまうような、ある「形」として具現化させること。

そういう営みを、ぼくたちはやっているんだと思う。

ひとに原理的に価値のあるものを、長く時代を越える何かを、つくっていけるように。

 

***


○ 僕がこれから百年やり続ける、みっつのことについて。

1) PRIVATE WORKS:個人としての制作
1. 「作品」と呼べるような、ひとまずの代表作はこれです、と言えるようなものをひとつつくる
2. 展示会をいちど、開催する

 

2) PRODUCT WORKS:MATERIA
1. MATERIA『drop a line』を販売開始する
2. 販売目標どおりの売上と利益を達成する。そのための努力を惜しまない。

 

3) DESIGN WORKS:デザインのしごと誰かの思念から始まって、それを社会に立ち上らせるということ。
1. 事業化する。料金表をつくり、パッケージとしてそれで仕事をできるようにする。
2. 四人が食べていけるような規模で、会社として経営を健全化させる。単月黒字を安定して出せるようにする。


○ そのほかのことについて。


1) 「かんがえぬく」こと。そして「やりぬく」こと。
2) 朝5:30からしごとをして、22:00には就寝している
3) コンスタントに個人の制作の時間がとれている
4) 砂漠にゆく

 

***


○ では、2019年12月31日の貴方に、質問です。


1) 個人として「これが代表作です」と言えるようなものがありますか?
2) 展示会はできましたか?
3) MATERIAは販売され、販売計画を達成しましたか?
4) デザインのしごとで、四人が生きていけるようになりましたか?
5) 朝5:30からしごとをして、22:00台には就寝していますか?
6) 砂漠には、いきましたか?

2018年のこと。

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ぼくは年末年始の大半を、文章を書いて過ごしている。

言葉というものが好きだし、それをつかって文章を編むのも、やっぱり大好きだ。

そして、「振り返る」という行為も好き。

毎年のこの時間が、とてつもなく、たのしい。

それは自分自身を発見し、更新するという行為だから。

今年も相変わらず、ぼくは人間が勝手に線を引いた「一年」という単位にならって、僕自身を発見する旅に出ることを避けられないようだ。

もくじ

これまでのこと。

序章:大切にしたいものが、大きく更新されてしまった。

2018年、一番大きくて大切な変化。

ぼくは、コーヒーが好きだ。

そして「コーヒーの関わる事業を通して生産国の現状を変える」ということだけを言いながら、ここ数年生きていた。本当に、そのことばかりだった。

そして、今年は、大きくそのことが変わってしまった。

振り返ってみるとこれまで、大体4年くらいの周期で、ある特定の領域に激しく執着し、そしてあっさりと捨ててしまう、ということを繰り返してきた。

中学から高校にかけては、音楽しかやってこなかった。

大学に入ってからバンドも新しく結成し活動していたのだが、ある時期から音楽への絶望感を感じるようになっていた。

そして、バンドを抜けてからは音楽に関することを一切辞め、逃げ場を探すようにコンピュータに傾倒した。ぼくにとってコンピュータとインターネットの世界は、とても輝いていて、面白がれた。ずっとずっとコードを書き続けて生きていたいと思った。楽しかったし、日々、技術を学ぶことに必死だった。

そしてCTOとして会社を始めてからしばらくして、アフリカでのコーヒーとの出会いのことが忘れられず、いつの間にかコーヒーにのめり込んでいた。

そして、Colored Life Coffeeというコーヒースタンドを始めた。

その中で、ぼくらが経験し、考えたことのなかから、「MATERIA」というコーヒーのプロジェクトが始まった。

そしてちょうど、コーヒーに執着し始めてから4年ほど経つことになるみたいだった。

かつて抱いていた、コーヒーへの執着が、消失してしまったような感覚がある。

それはぼくにとって、とてもとても怖いことで、僕は僕自身に盲目になる暗示をかけて、そんなこと気付かないように振る舞ってきた。

それは、これまでの短くない時間、血肉を捧げてきたものだったから。

それをあっけなく捨て去ろうとしている。その恐怖と、ここ半年くらいは戦っていたのかもしれない。

***

ぼくにとっての軸は今、みっつある。

ひとつは「アート」。

「アート」こそが、人間にとって、そして自分自身にとって最も切実で、重要なものである、と考えるようになった。

そして「デザイン」。

これは、アートと根本的には真逆を向いたベクトルであることが多いのに関わらず、表面的に見ればその手の動きが似ている。だからたのしい。

さいごに「経営」。

生きている限り、みな、少なからず自分の人生を経営している。この資本主義の仕組みの上で生きる限り、経営とは「経済活動」そのもののことであるくらいの意味を持っているように思う。

これらのみっつのことは、何かを言っているようで、何も言っていないくらいに、空気のような、抽象のような、原理のようなものたちであると思います。

これらのことなら、一生をかけて、自分の活動を貫き続ける何かになり得るのではないか、と思っているわけです。

出会った本

2018年も、素敵な本との出会いがたくさんありました。これまでとは、読む毛色がかなり変わったような気がします。そして、2018年は特に「読まない」ことを大切にできたと思います。その分フィルターを強めることができ、共鳴度合いの高い本とたくさん出会えたように感じます。

『読む』より、『読まない』をぎゅっと大切にしたい。 - 生活の詩のようであり、社会への書簡のようなもの。

今年読んだ本は53冊。その中でも特に、印象に残っている本たち。

出会った作品

特に影響を受けた作品。

出会った場所

出会ったおと

かんがえたこと

  • 「主観」と「相対感」
  • 目的のための過程ではなく、過程のための目的
  • すべての具象は、美しい抽象のために
  • 人生は積み木のようなものではなく、彫刻のようなもの
  • 社会学万有引力について
  • 「膨らませることば」「削り出すことば」
  • 「目的」「機能」の脆さと、「無目的的さ」から生まれる人間にとっての切実さ。
  • 偶発的必然性
  • 意識的無意識の獲得

つくったもの(PRIVATE WORKS)

  • 「それよりも、それを視る箱」
  • 「Letters from Other Days」
  • 「まるさんかくしかく」

全てWIP。 ”おわりかた"を探すのを、うまくならねばなぁ。

沿革

【一月】
  • 経営合宿で、チームとしてColored Life Coffeeを辞める決断。
【二月】
【三月】
  • 新しい始まり、しごとの仕方、自分の幸せな働き方について
  • 個人的な創作活動を開始(?) 「世界は『主観』と『相対感』」
  • BALMUDA寺尾さんと話す。衝撃を受けた。
  • クロコムが開始。 MATERIAの料金表をつくりはじめた
【四月】
  • 経済活動への奔走と、反発して醸される思想
  • 資金調達。個人の投資家の方に会い続ける日々
  • このころから、自分の「ことば」が醸成されはじめる
【五月】
【六月】
  • 「ミナ ペルホネン」の作品集との出会い
  • 引き続き資金調達に奔走。方針が見え始める
【七月】
【八月】
  • レオ・レオニさんとの出会い。フレデリック、あおくんときいろちゃん。絵本が好きになる。
  • 猪熊弦一郎さんとの出会い。
  • MATERIAプロジェクトに涼太郎が参画。焙煎を軸に加速し始める
  • JM経営塾 開始
【九月】
  • 個人の創作「まるさんかくしかく」が始まる
  • 「CIAL」ということばとその概念について
  • 「#今日の椅子」シリーズが始まった
  • 「トラフ設計事務所」の作品集との出会い
  • 岡山に帰省。大学を退学。
  • 株式会社CIALを設立
【十月】
  • 木工を始める
  • Whosecacaoさんとのプロジェクト「CROKKA」が始まる
  • 「それよりも、それを視る箱」のコンセプトの種が生まれる。リサーチ。
  • STORE HOUSE出店。振り返って視ると、想像していたよりも、意味のある遠征となった。
  • 直島に2人の友人と。チームとしても大きな転機になった。
  • 100BANCH卒業。
【十一月】
  • 「美しさ」への感覚が研ぎ澄まされているような感覚
  • 「#構造スケッチ」
  • 「職人的非職人」であるということへの自覚が芽生え始めた
  • GaudiyさんのWebデザインのおしごと
  • Whosecacaoさんとの仕事、CROKKA第一弾「CROKKA brittle」の発表。CIALにとっても根元の根元からやった仕事第一弾だった。
【十二月】
  • CARAVANのデザインのしごとが始まる
  • 体調を壊す。それを機に、精神的にも圧迫され、仕事や人生について考える
  • JM経営塾の合宿。ドワンゴ川上さんとの対峙。生と死、始まりと終わりについて。だったら僕は何をするのか?
  • CIALの、会社としての在り方について考え直す
  • 「C-I-A-L」プロジェクト発足
  • MATERIAプロジェクトが加速し始める
  • CIAL meetup #1(忘年会)。CLCからCIALへと続く文脈の端緒を見たような感覚がした。

さいごに

この一年で、ぼくは一年前のぼくを思い出せないくらいに、大きく価値観が更新されてしまった。

この一年で出会った人たちとの関わりがなければ、今頃自分は、全く違う自分であっただろう、と。

強くフィルターをかけていたこんな自分と、関わってくれたひとは、その分ぼくにとって本当に切実で、有難いと思うばかり。なんとか、僕から、何かを還したいな。

来年の今日には、この「振り返る」という行為を、ことばだけでなく、創作物を通してやれるようになりたい。

作品とは、プロセスにおけるスナップショットのようなものだから。そのときの感情をぎゅっと絞り出して氷で閉じ込めたようなものに、感じるから。

ヒヲツムグ_20181217

ここ2週間くらい、絶望の中にいた。

自分が何をやりたいのか、何をやっているのか、分からなくなっていた。

とても、とても、つらかった。

こんな調子で個人の制作をしていたのではいつまでたっても中途半端なままではないかという危機感、会社の経営に関しての「ひと」についての悩み、体調不良、そこあたりのことが一気に重なったのが、原因だった。

最近は、ずっと、ずっと、そのことについて考えながら、この流れる日々を、なんとかやりすごしていた。

自分の体の大切な中身の、その中心の部分がしなびて、死んでしまっているような感覚だった。

僕は、つくることの歓びを、そして憂鬱を、忘れることができないのだろう、と思った。

だから、アート、デザイン、経営を続けようと、そう思った。

これからずっと、3つのことをやり続けることになる。

「器用貧乏」と散々言われた自分だが、これでいいのだろう、と、今のところは腑に落ちている。

  1. 個人としての作品の制作活動「PRIVATE WORK」
  2. CIALとして自分たちのプロダクトをつくっていく「CIAL PRODUCT WORK」
  3. CIALとして誰かの思想を社会に実装する「CIAL DESIGN WORK」

の、みっつである。

ぼくが、命の炎を燃やし続けることのできる場所。

いまは、このみっつ。それより多くもならないし、少なくもならない。

それが僕の、いちばん歓べるバランスなんじゃないかと、そう思った。

PRIVATE WORKのために、個人でアトリエを借りることにしよう。

PRODUCT WORKでは、自分たちでやる範囲はプロトタイピングまでで、製造はしないこととしよう。

DESIGN WORKでは、より良いものを生み出していくために、しっかりと料金表を設計して、より良い経営を目指そう。

さて、なんとなく、整理されてきたような気がする。

とにかく、つくり続けること。

来年の野望は、代表作と言えるようなものを、そのみっつで、ひとつずつ以上生み出すこと、かな。