生活の詩のようであり、社会への書簡のようなもの。

貴方の感情に寄り添う、優しい土壌みたいなコーヒーブランドをこしらえています。生温かい血の通ったcontributionを、貴方と、アフリカと、そしてわたし自身に優しく美しく届けれるようになりたい。

ヒヲツムグ_20180918

オルタナティブの質感を深めること。

最小構成を保ったままに、思想を洗練させていき、実装を繰り返す。

ゴードン・マッタ=クラークのような、切れ味抜群な大味でありつつも、最小の要素で構築された質感を。

引力に、惑わされないこと。

僕は僕自身のせかいの構築だけに集中する。

外からの情報を、能動的に排除する。

フィルターを強めていく。

じこしょうかい(2018年8月版)

◉ わたしを表す言葉

  • なまあたたかい血の通ったcontributionの交差するせかい
  • 「生活の詩のようであり、社会への書簡のようなもの」を百年つくり続ける
  • オルタナティブの発明(not カウンター)
  • おもちゃ箱づくり

◉ わたしを表す筆跡

  • 一九九三年、岡山県倉敷市にて生まれる。
  • 父親の影響で、小さい頃の将来の夢はロボットをつくること。
  • 高校からバンドを始めて何となく社会のレールを見失い始める。
  • 大学はコンピュータサイエンスを専攻。
  • ウガンダに一年間滞在。現地の方向けの交通系Webサービスの開発と、コーヒーの収穫を行なっていた。ここで完全に社会のレールを見失う。
  • まかないだけが載ってる飲食店求人サイトの立ち上げに開発として参加させていただいた。
  • 三年付き合っていた彼女に初めて「芸能人でいうとバナナマンの日村に似てるよね」と言われる。その後、振られる。
  • Cookpad、Recruit、Fringe81、me:newなどでのインターンシップ
  • 同級生3人でOneBox Inc.を設立。ペット領域のCtoCサービスの開発・運営を行う。
  • 同社CTOを退任。
  • 高円寺にて、スペシャリティコーヒー「Colored Life Coffee」を始める。焙煎コーヒーの卸売事業を同時開始。
  • 「Colored Life Coffee」の運営中に始まったコーヒーブランドのプロジェクト「MATERIA」に集中することにし、店舗事業を停止。
  • 現在、自社ブランド「MATERIA」のデザイン・販売および、パートナーとして思想を一緒に醸成して社会実装をする、Webやリアルなモノのデザイン・ブランディングを行う株式会社CIAL代表。

過度に熱された焦燥は、貴方のまんなかを置いてけぼりにして、輪郭だけはみ出そうとする。

貴方は、今日も『なにもの』かになろうと、積み重ねている。

塗り固めて、大きくして、分厚くしてつくったそれは、本当に『貴方』でしょうか。


本当はそのまんなかに、見えないくらいに小さく、ずっしりと重く存在している。

まんなかにいる貴方を、愛情を以て掘り出してあげようとさえすれば、いいのに。


貴方が、貴方を追い抜こうとする。

『なにもの』かの『貴方』に関係ない情報によって過度に熱された焦燥は、貴方のまんなかを置いてけぼりにして、輪郭だけはみ出そうとする。


ゆっくり、いそぐ。

行く先のその景色にドキドキしながら、今視える此の光景に胸踊らせれるような歩幅で、歩いてゆきたい。

『読む』より、『読まない』をぎゅっと大切にしたい。

冊数はあまり多くはないのですが、本を読むのが好きです。

ですが、読みたい本は人間まるまるひとり分の人生でも足りなくなるくらいには、とめどなく溢れます。(そして不思議なことに読めば読むほど、積み重なる本は増えていく!)

世界は主観で構築され「時間」こそが貴方の「命」とほぼ等しいものであると言うならば、本を読むということもまた、紙に載ったインクを目視することにさほど多くはない貴方の命を注ぎ込むということです。

ですが溢れる主観とその集合として立ち上る客観の幻想の中では、喉から手の出る情報はそこかしこに、拾いきれない物量で転がっています。

だからむしろ、いかに選ばないか、が「貴方」を構築するのではないかと感じます。

人生とは実は積み上げていくものではなく、積みへらしていくものなのかもしれません。

積み木みたいに、積み重ねながら何かを形づくっていくのではなく、彫刻みたいに、大きな大きな石の塊から「貴方」の本当をえぐり取っていく行為の方が、この人生と何となく近い感覚があります。

一時のアルベルト・ジャコメッティの彫刻のように、目よりも確かに現実を視ようとしたときに最後に残るものは、ものすごく細くて、ものすごく小さくて、ものすごく重い、ブラックホール特異点のようなただひたすらの存在感みたいな何かであるような。

そのコンテキストで、本も「読む」じゃなくて実は「読まない」が自分という総体を形成していくのかもなぁ、と、ふと考えていました。

流行っている本や、売れている本を手に取るのが億劫になってしまうのは、「みんな」が読んでいる本を読めば読むほどに、「わたし」が「みんな」に漸近していくということに恐怖を感じてしまうからなのかもしれません。

わたしの惹かれる肌理だけを、丁寧に優しく選びとってあげたいなと思う。

むしろもう「引き寄せる/弾き飛ばす」くらいの、魔法がかかっているような感覚にたどり着きたい。

作品とはいつだって『貴方』よりも遥かに『貴方』なんです。

『貴方』がなくなっていく。

貴方がつくりあげようとしている何かと、同化する。

『わたしがつくっているなにか』と、『わたし』の間の境界線が、ぬめぬめと、その姿を失くしていくような、感覚です。

これは、とても心地良くエクスタシーを感じる体感でもあり、同時に、とてもこわいなぁと恐怖におののき怯える感覚でもあります。

どっぷり、、、と。

今わたしがつくっている何かと、深く一体になろう。

わたし自身が、それになりきってみる。

こわいですが、「絶対にできない理由」はないんじゃないか、と思いました。

どっぷりと、深く、深く、潜ってみよう。

貴方の死ぬときは、わたしの死ぬときです。